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HSPとは 感受性が高すぎる人のための辛くない生き方

HSPとは 感受性が高すぎる人のための辛くない生き方

HSPは感受性が高く繊細な人です。

 

普通は感じ取らないようなことに気付いて、やさしすぎるあまりに自分自身が傷つくことが多く、辛い思いをする場合も多いかもしれません。

 

HSPとは本当に辛い思いばかりしてしまう人なのか?もう少し楽に生きるための方法を共有します。

 

 

HSPの人の特徴

 

HSPはハイリ―センシティブパーソン(highly sensitive person)の略称で、感性・感受性(sence)が繊細(sensitive)であるあまりに日常生活に中程度から重度の支障が発生するケースがあります。

 

HSPは先天性と言われますが、年齢を重ねるごとにその傾向が強くなる意味では後天的な傾向とも言えます。

 

感受性が高すぎるあまりに支障となるのは、対人関係や社会生活。

 

集団生活に馴染めず、他人との接触が苦痛に思えて一般的な社会人としての生活が送れなくなるのがHSPの一般的な問題点です。

 

 

HSPの家族

 

HSPの感受性の高さは家族でも理解するのは大変困難でしょう。

 

家族も疲れるかもしれませんが、HSPの精神的な疲労は普通の神経では分かりえないのです。

 

家族はHSPなんだと理解してありのままを受け止めるしかないのではないでしょうか。

 

全てを理解する必要はありませんが、乳児の感情を察してケアしてあげる親が当然するようなレベルでいいと思います。

 

 

HSPの境界線型

 

HSPの中にも典型的なHSPとは異なるタイプもいます。

 

例としては対人関係も社会生活も普通に送れて、感受性が高いあまりに自分自身が一方的にダメージを負うタイプです。

 

このタイプは気遣いができるし、真面目な場合が多いですが、感受性の高さでさまざまな情報をキャッチしてしまいます。

 

例えて言うならば、次のようにアンテナが一般の人の数倍あるようなイメージです。

 

  • 他人のFACEBOOKのタイムラインの更新情報が流れてくるだけで膨大な情報を感じ取ってしまい、船酔いするようなレベルの気持ち悪さを感じる
  • 人ごみの中で人の感情を受け取りやすく、吐き気すら感じる
  • ボキャブラリーの少ない人間と接触していると、表現の不適切さにギャップを感じ、ギャップを感じ取った自分自身の認識を自己修正しようとする。結局その感情を処理できない。

    ※(ボキャブラリーの低いデリカシーの無いタイプを責めたらいいのにもかかわらず)

  • 一概に神経が細かいとか神経質というわけではなく、ただ繊細なだけであまり精神を酷使するあまり本来は健常なはずの肉体が壊れることがある。

 

HSPの境界線型の問題は、精神を酷使して肉体を壊し、その資質や能力を実質的に機能停止してしまうことにあります。

 

 

HSPが年齢を重ねるごとにその繊細さが増していく理由

 

年齢を重ねるごとにHSPはその高い感受性をさらに高める傾向があります。

 

自分を守るために自己防衛本能が高くなっていくからです。

 

それは防衛本能のようで自分の首をじわじわと絞める諸刃の剣の性質を持っています。

 

 

HSPの人が一番やってはいけないこと

 

HSPの人が一番やってはいけない事は被害者意識と仮病。本当は歩けるのに車椅子を与えられているような感覚でいると、そこから自分の脚で歩くことが難しいと言う意味で。

 

ハードルが高いことをやろうと言おうとしているわけでもないです。筋肉を使わないと体が鈍るよ、というレベルのお話しでしかありません。

 

HSPの人が書いた日記的なサイトでは「ありのままでいい」といった趣旨の内容が書かれていることでしょう。やわらかくて包まれるようなやさしい雰囲気のメッセージと共に。

 

確かに無理して体を壊すようなことをする必要はないし、人は自然体が素敵なはずです。

 

けれどそのメッセージは「病人だから一生蹲ってていいよ、誰かがずっと守ってくれるよ」といった意味だと思ったらそれは違います。

 

正直に言いますが、HSPがそのような勘違いをしていたら時間の浪費になるだけです。

 

HSPの自分自身が嫌だ、現状が気に入らないと思っているならば、自分が理想としている世界をその精神活動で具現化し、どんな資質であってもそれを世に還元すべきなんじゃないかと思います。

 

 

HSPの楽な生き方

 

HSPは自分を「病気」だと思っていると、辛いだけです。何でもそうかもしれませんが病気だと思っている限り人生は決して明るくならないのではないでしょうか。

 

人が人である存在理由はその人の精神活動が蓄積した「行動※」にあり、自分を病人扱いすると努力を放棄しようとします。
※具体的には仕事を指す

 

本来は有能なはずの資質がそんなことで台無し…

 

誰にとっても楽な生き方はないかもしれませんが、感受性の高い自分であっても楽しめるのであればHSPの楽な生き方と言えるのかもしれません。

 

HSPという病人の自分に人生の価値を置きたいか? 資質を昇華させて貢献できる自分に価値を置きたいか?

 

おそらくHSPが考えるのはこの2つだけのはずなんです。

 

HSPは仕事やその精神活動が生んだ作品で人に貢献し、人からありがとうを受け取ったほうが楽なのではないかと思います。

 

なぜならHSPその人そのものが他人には理解できない事が多ものの、精神活動が蓄積した形の「仕事または作品(HSPは芸術に長けている人が多いと言う意味で)」の方が、他人には理解しやすいからです。

 

自分の精神活動が結晶化した形(おそらくこれがHSPの理想形のはず)が、人からありがとうと言われることは、HSPが生きててよかったなって思える瞬間なんじゃないかなって思います。