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飽きっぽい・時短至上主義・少子化・キレる老人・薄い関係性に見る自己愛

飽きっぽい・時短至上主義・少子化・キレる老人・薄い関係に見る自己愛

村上龍氏の著書には、いまから20年前くらいからある同じキーワードが繰り返されています。

 

氏は「生き残る」とか「生き延びる」などといった言葉を繰り返しながら、
“経済・少子化・ストレス・薄い人間関係”などさまざまなテーマの中で「バブル期を通り過ぎた経済社会でどうやって泳ぎ切って個人として幸福に生きていくかと」いったことを問いかけてきました。

 

ここ最近の氏の作品の中では一貫して、せっかちで不安を抱える人の様子が描かれています。例えばレジ待ちで子供にぬかされてキレる老人のように。
村上氏が著書の中で述べている光景を日常的に頻繁に見かけるようになって、それらが起きる原因のようなものをずっと探していました。ただの静観と傍観にすぎませんが。

 

 

飽きっぽい

 

ある精神科医師と最近の人の心理状態に関して雑談したとき、医師の口から「飽きっぽくて簡単な方法に次々はしごしようとしている。そうした傾向にある人は結局精神状態が変わらない。」という言葉をお聞きしました。

 

またある内科医師からは「より楽な治療方法を探そうとしようとする患者に、僕は自分の時間をすり切らすことを遠回しに強要されているようなものだ」といったこともお聞きしたことがあります。

 

体質改善目的で幣エステサロンにご来店される女性の中には、60分後にはまったく別の自分に生まれ変わっているかのような期待を本気で持ってご来店されるケースもあります。

 

大きな成功体験をどうにかして短縮して勝ち取ろうとする以前にほんの小さな成功に気付かない、短縮を至上主義にする一方で心身の機能は太古の昔から変わっていない事に気付かない。

 

 

時短至上主義

 

仙台から東京までの時間が○分短縮された、など現在の時短を好む傾向が激化しています。

 

「時短ネイル・時短メイク・時短グッツ」など企業としては時間を短縮してあげるとビジネス上ではさまざまなわかりやすいキャッシュポイントになるはずです。

 

しかし時間を短縮するほどみんな秒単位で忙しいのかと言えばそうでもなさそうで、ただせっかちで根性がなく我慢ができなくなっているだけのような傾向も否めません。

 

Beedyeyeのノエルギャラガーも「時間がないなんて言っているだけでお前も俺も口だけさ」って言っていますけれど…。

Would never waste a single day, but (You and me) I’m just saying

 

 

少子化

 

不妊治療に通う女性の数は驚くほど多く、いつの間にか日本女性は出産しにくい体質になってしまいました。
それ以前に結婚というものに価値を置かない傾向も高くなっていますが、さらに問題視されているのが現状の社会がそうさせていない点。

 

女性と子供を養う経済力がないと考える男性は、虚勢からかその考えを伏せて「結婚なんてメリットあるの?」と本気になって言ったりします。※堀江貴史氏のような人は別として
平気でそう言い放つ男性に限って男性機能は捨てていないようですが(汗)、女性から「近づかない方がいいどうしようもない人」として淘汰されている点に気付かない。

 

昔々、男性が結婚するメリットって身の回りお世話をしてくれる人がそばにいることで、女性の場合は旦那さんに養ってもらうことだったのしょうか?わかりません。

 

何でも買える世の中なので人もサービスで代用できると考えられているのかもしれません。

 

 

キレる老人

 

老人が子供に対して平気で切れる場面に遭遇するようになりました。キレる老人は若者に自分のパイを奪われるのを恐れて生き急いでいるのかもしれませんし、年金の額に不満があるのかもしれません。
仕事ばかりしてきたことが仇となってこれといって趣味も生きがいもないとそうなるのでしょうか?老人にとって長生きは不安を増やす材料となってしまっているようです。

 

少し前カフェでカフェラテを注文したときに、無いと言われてほんの一瞬迷ってカフェオレにしました。後続の白髪男性が私のカフェオレを横切って自分の注文分のお代をトレイにのせようとして驚いちゃったんですよね。
急ぐ理由があるならその重要度と「はねのけて自己愛を最重要視する理由」と併せて聞きたいと思いましたが後続の迷惑になるのでやめましたけれど。

 

 

薄い人間関係

 

東洋経済が配信している最近の記事に「人間関係がうまく行く人の法則」といったテーマが掲載されていました。
その記事に対するコメントの数々を拝見していると「別に友人がいなくてもいいし、家庭に制限されず自由に独身でいたい」「家庭を持っていても人間は結局孤独」といった薄い人間関係を暗に示唆している内容が多かったように思います。
人間関係が濃ければそれで幸せという訳でもないという数々のコメントです。

 

冒頭で挙げていた村上龍氏は「日曜の夕刻にはサザエさんを見て一週間を終わりにするのが皆に共通する幸せの形だったが、現在は共通の幸せがない」といったことを指摘しています。
「個人単位での生きる上でのメリットが超細分化されてしまい、他人と幸福を共有するメリットがなくなっている」、ここで挙げている全てのテーマに共通するのはこれが元となっていると思います。

 

 

「私」の範囲が狭い

 

生物の寿命について研究をされる東京工業大学本川達雄教授は、上に挙げてきたようなテーマに共通しているのは「私」の範囲が狭くなっている点だと指摘しています。
人間誰しも自己愛がありますが、自己愛が発達した形が「自分自身に似たもののコピーをつくること」であり、「遺伝子を受け継ぐこと」が人間の基本であると述べられています。
これは子供が欲しくても授かれない女性の反感を持たれそうな気もしますが。

 

人を生物個体としてみた時に、体の中の細胞は健常な細胞をミスなく複製することが体を健康に保つことと考えられています。
健常な細胞を複製できないと、複製ミスとなってガン細胞が増えたりするからです。

 

祖父母の世代→父母の世代→今の私→子供の世代→孫の世代と「私」が複製されていき、遺伝子と言う形で「私」が引き継がれて行く訳ですが、現在は「私」という概念が縮小され他人と幸福を共有するメリットが薄いと考えられているようです。

 

あなたと私は関係ない、親なんて知らない、子供なんていらない…これでは少子化になるのも当然かなのかもしれません。

 

 

自己愛は人を幸せにする?

 

自己愛は誰にもありますが、自分の範囲を狭くする自己愛の前に、なぜ人は人と関わる必要があるかということですよね。
誰しも縁があって生まれていますので、この世に縁がなければ誰しも「私」は成り立っていません。
だから「お前なんてどうだっていい、自分が良ければそれでいい(あなたと私は関係ない、親なんて知らない、子供なんていらない…)」と考えるのは「私」の存在を狭くしている(本質的な意味合いで自己愛に遠ざかっている)可能性もあるということ。

 

 

個人個人で「狭い範囲の私」という危機感を持っていたとしても、いまはその危機感ほとんど機能しない。自己愛を追求しているようで「私」の範囲が狭くなっている功罪は思った以上に大きい。
現代版の自己愛はひょっとしたら「私」の範囲を究極に狭くすることなのかもしれません。それが本当に幸福かどうかは別として。

 

 

Beedy eye I’m just saying

 

少年みたいにやんちゃな男性がお子さんとか奥さんを持って成熟していく姿は素敵の一言。